SACHiEl (5/13) 

 人は失わないと大切なものに気付けない愚かな生き物。

「でも、命に別状が無くて良かったわね」
 夕方、病院の屋上で俺は幸恵に曽根崎さんの話をした。
「うん、そうだね。でも中央区の病院に入院したから、しばらく顔は会わせられないし、淋しいね」
「入院患者が、他の病院にお見舞いに行くのもちょっと…ね」
「そうだね。まあ俺の方が先に退院すると思うから、その時にでも行こうかな」
 曽根崎さんは体力維持とダイエットを兼ねて続けていたスイミングスクールで溺れた。それもなぜか発見が遅れて、意識不明に陥っていたそうだ。極度の体力低下と疲労、精神的なショック等でしばらく安静状態を強いられるとの話だ。
「会えないと淋しい?」
「そりゃあ、いつも顔を会わせていた人だからね」
「大丈夫。その分、私が毎日来るから」
「あ。ああ」
「明日学校サボっちゃおうかな?」
「それは駄目です!」
「えへへ。冗談ですよ」
 冗談なのか本気なのか判らない表情を幸恵はしていた。

 屋上は穏やかな風が吹いていた。
 俺と幸恵の他にも、入院患者や家族らしき人達が数人各々の時間を過ごしていた。
「眺めが良いわね」
「そうだね。此処からだったら夏の花火も綺麗に見れるだろうな」
「じゃあ一緒に見たりする?」
「来年、受験が無事に終わったらな」
「いじわる言うんだなぁ」
 幸恵は口をとがらせた。
「疲れたから座ろうか」
 俺は近くのベンチを指差した。幸恵はうなずいた。
「コラ。駄目じゃないの!」
 ベンチに先に座っていたおばあさんが傍らの小さな男の子を叱っていた。「虫をいじめたら可哀想でしょ。こんなに小さくても命があるんだよ」
 男の子の手にはカブトムシが握られていた。
「本当に最近の子はなんでも粗末にして困ったもんだね。昔はなんでも神様がついているって考えていたものなのに…」
 おばあさんは小声で愚痴を言っていた。俺は無言で向こうのベンチを指差し、移動しようと幸恵に合図をした。幸恵は片目をつぶって応えた。おばあさんの前を通り過ぎた時も、まだ小言は続いていた。
「山には山の神様、火には火の神様、水には水の神様。なんにでも神様は宿っているんだから粗末にするんじゃないの。バチがあたるよ」
 俺はその言葉にハッとした。
 水の神様。
 神様ではないが、サキエルは水の天使とも言われていた。
 俺は反射的に振り返り、幸恵の顔を見てしまった。
「どうしたの?」
「あ。いや。なんでもない…」
 何故そんな事を思ったのか自分でも判らなかった。

「もうそろそろ退院なの?」
「うん。やっと術後経過も落ち着いたから、あとは検査の結果待ち。今回は長かったな〜」
「そうか。良かったですね。早く退院したいでしょ?」
「そりゃ明日にでも」
 俺は笑った。「早く学校にも戻りたいし、友達にも会いたいし」
「学校はどんな事するんですか? 授業とか」
「俺の学校はデザインの学校だから、本とかポスターをどうやったらカッコ良くレイアウト出来るか、とかだね。あとは広告とか。新聞に入っているチラシとかもそうだし、此処から見えるビルの看板とかもデザインだね」
「へー、凄いですね」
「いやー、まだまだ勉強し始めたばかりだから全然だけどね」
「卒業したらデザイナーさんですか?」
「そうだね。グラフィックデザイナーとか」
「カッコ良いですね」
「なれたら良いけどね」
「なれますよ、きっと」
「幸恵さんは将来なにかなりたいものある?」
「私ですか? 私は…。そうだ!」
 幸恵は手元のカバンを開けて中から1冊の文庫本を出した。
「小説とか書いてみたいです。この本、課題で読んだんですけど、とっても感動しました!」
 それはヘッセの『デミアン』だった。
「とっても好きな文章があるんです」
「へー、どんな?」
 幸恵は立ち上がると、空を見つめて語り始めた。
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサスという」
 その一瞬、外界の時間が止まったかのような錯覚を感じた。
「なんだか素敵な文章だね。俺はその本、読んだ事ないけど」
「それじゃあ貸してあげますよ。是非読んでみて下さい!」
 幸恵は俺の手にその本を押し込んだ。
「私が小説家になったら、本のデザインお願いしちゃおっと!」
「よーし」
 俺達は何も恐れを知らない顔で笑った。

つづく
SACHiEl | 09:42 AM | comments (0) | trackback (0) |
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