SACHiEl (6/13)
2006,06,10, Saturday
「神様って信じる?」
幸恵は空を見つめながら言った。「さっきもあのおばあちゃんが言ってたでしょ? どんなものにも神様が宿っているって」
「うーん。どうなんだろうね? 正直俺は判らないけど…」
「私はいるって信じてるよ。だってその方が夢があるもん」
「なるほどね。そう言えば、さっき言ってた、この本に出て来る神様の名前、なんだっけ?」
「アブラクサス?」
「そ。それ。なんだか不思議な名前だね」
「とっても面白いのよ。アブラカタブラって聞いた事あるでしょ?」
「うん。おまじない」
「それの語源なんだって」
「へー」
「この本の中でヘッセはアブラクサスを、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ一つの神の名と説明しているの」
幸恵はベンチに座り直すと俺の方を見て話し始めた。「心理学者のユングの自伝にも出て来るのよ」
「アブラクサスが?」
「そう。不思議でしょ?」
「なんだか現実なのか創造なのか混乱して来たよ…」
「頭は牝の鶏、脚は竜、鞭を手にした姿で護符に描かれるみたいよ。悪魔学者達は、王冠をかぶり蛇型の脚を持つ魔神と考えたんだって」
「悪魔学者…」
段々と俺は気持ちが沈んで来た。
神だの仏だのピンと来ない俺には、目の前で熱く語り始めた幸恵が苦手なタイプに思えて来た。
やっぱりこの年頃は、こういう神がかった話が好きなんだな。
「2世紀の異端宗教グノーシス主義、バシリデス派の信者達はこれを最高神と崇めたんだって」
幸恵はまだ続けるようだ。「アブラクサスってABRAXASって書くんだけど、この7つのギリシャ文字を数字で読むと365。つまり1年の日数と同じになることから、365天を司る精霊達をこの神の支配下に置き、1日につき1つずつ、合計365の美徳をこの精霊達のものと決めていたんだって」
「へー。そうなんだ」
それからも幸恵は1時間近く神とか悪魔の話をしていたが、俺の頭には何も残らず、右の耳から入っても左の耳から言葉が流れ出ていた。正直苦痛だった。
その夜ベッドの上で文庫本を読んでみたが、10ページももたなかった。内容が面白く無かったという訳ではなく、昼間の幸恵の顔が思い出されて集中出来なかった。
確かに俺自身も不可思議な物に興味を示した事もあったし、その手の月刊誌を立ち読みしたりもした。テレビでもたまにスペシャル番組として、世界の七不思議みたいな本当か嘘か判らないような代物を観る。みんな何処かで興味を持っているものだ。
でも自分が興味ある女の子のそんな態度は見たくなかった。
「せめてインチキ宗教にハマるオバサンにはならないで欲しいなぁ〜」
「え? なんです?」
隣のベッドの人がこっちを見た。
「あ。すいません。独り言です」
俺は照れ笑いを浮かべた。
「そう言えば」隣のベッドの人が話し掛けてきた。「最近、可愛い女の子がお見舞いに来てますけど、彼女ですか?」
「いや。やー。ち、違いますよ。友達です。友達」
何故慌てる、俺?
「ジュース買いに行って来ます」
俺は逃げるように病室を出た。
なんで言い訳みたいな。
彼女じゃないけど、気になっているのは事実だ…。
夜の病院は無気味だ。
昼間はあんなに人の流れがある1階の待ち合いロビーもガランとしていると、その広さに驚くとともに恐さも感じる。薄暗い中、自動販売機の明かりが点々と灯っていた。
所々に腰掛けて家族と話していたり、テレビを観ていたり、電話をかけていたりと何人かの患者の姿があった。
「そういえば」
しばらく家族に連絡をしていなかった事を思い出し、俺は公衆電話を手にした。財布からテレフォンカードを取り出す。
「あ!」
手が滑ってカードを落とした。カードは床を流れるように滑って、隣の女性の足下で止まった。
「すいません。カードが落ちて…」
「あ、コレですか?」
その女性はかかんでカードを取ってくれた。どうやら近くの自動販売機でオレンジジュースを買ったばかりみたいだ。
「有難うございます」
「彼女に電話ですか?」
「え?」
「夕方いつも一緒にいる女の子に電話するんでしょ?」
「ち、違いますよ。と言うか、見ないで下さいよー」
「結構、ナースセンターでも話題みたいですよ。目立ちますよ、セーラー服の可愛い女の子連れて歩いていたら」
「あー、なるほどー。でも友達なんです。それにこれから電話するのは実家です」
「ホントに?」
そう言って女性は歩き始めた。「お邪魔しました」
隣のベッドの人より話しやすかったのは自分に年齢が近かったせいだろうか。それにちょっと美人だと思った。
ロビーのテレビには半年に1度は放送されるUFOの特別番組が放送されていた。画面いっぱいにMJ-12と映っている。
「マジェスティク・トゥエルブか…。まだそんな事やってるんだ」
俺は電話を掛けるのをやめて、テレビを見始めた。
なんだかんだ言って俺も興味あるじゃん。
幸恵に対して少し懺悔の思いを抱いた。
(つづく)
幸恵は空を見つめながら言った。「さっきもあのおばあちゃんが言ってたでしょ? どんなものにも神様が宿っているって」
「うーん。どうなんだろうね? 正直俺は判らないけど…」
「私はいるって信じてるよ。だってその方が夢があるもん」
「なるほどね。そう言えば、さっき言ってた、この本に出て来る神様の名前、なんだっけ?」
「アブラクサス?」
「そ。それ。なんだか不思議な名前だね」
「とっても面白いのよ。アブラカタブラって聞いた事あるでしょ?」
「うん。おまじない」
「それの語源なんだって」
「へー」
「この本の中でヘッセはアブラクサスを、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ一つの神の名と説明しているの」
幸恵はベンチに座り直すと俺の方を見て話し始めた。「心理学者のユングの自伝にも出て来るのよ」
「アブラクサスが?」
「そう。不思議でしょ?」
「なんだか現実なのか創造なのか混乱して来たよ…」
「頭は牝の鶏、脚は竜、鞭を手にした姿で護符に描かれるみたいよ。悪魔学者達は、王冠をかぶり蛇型の脚を持つ魔神と考えたんだって」
「悪魔学者…」
段々と俺は気持ちが沈んで来た。
神だの仏だのピンと来ない俺には、目の前で熱く語り始めた幸恵が苦手なタイプに思えて来た。
やっぱりこの年頃は、こういう神がかった話が好きなんだな。
「2世紀の異端宗教グノーシス主義、バシリデス派の信者達はこれを最高神と崇めたんだって」
幸恵はまだ続けるようだ。「アブラクサスってABRAXASって書くんだけど、この7つのギリシャ文字を数字で読むと365。つまり1年の日数と同じになることから、365天を司る精霊達をこの神の支配下に置き、1日につき1つずつ、合計365の美徳をこの精霊達のものと決めていたんだって」
「へー。そうなんだ」
それからも幸恵は1時間近く神とか悪魔の話をしていたが、俺の頭には何も残らず、右の耳から入っても左の耳から言葉が流れ出ていた。正直苦痛だった。
その夜ベッドの上で文庫本を読んでみたが、10ページももたなかった。内容が面白く無かったという訳ではなく、昼間の幸恵の顔が思い出されて集中出来なかった。
確かに俺自身も不可思議な物に興味を示した事もあったし、その手の月刊誌を立ち読みしたりもした。テレビでもたまにスペシャル番組として、世界の七不思議みたいな本当か嘘か判らないような代物を観る。みんな何処かで興味を持っているものだ。
でも自分が興味ある女の子のそんな態度は見たくなかった。
「せめてインチキ宗教にハマるオバサンにはならないで欲しいなぁ〜」
「え? なんです?」
隣のベッドの人がこっちを見た。
「あ。すいません。独り言です」
俺は照れ笑いを浮かべた。
「そう言えば」隣のベッドの人が話し掛けてきた。「最近、可愛い女の子がお見舞いに来てますけど、彼女ですか?」
「いや。やー。ち、違いますよ。友達です。友達」
何故慌てる、俺?
「ジュース買いに行って来ます」
俺は逃げるように病室を出た。
なんで言い訳みたいな。
彼女じゃないけど、気になっているのは事実だ…。
夜の病院は無気味だ。
昼間はあんなに人の流れがある1階の待ち合いロビーもガランとしていると、その広さに驚くとともに恐さも感じる。薄暗い中、自動販売機の明かりが点々と灯っていた。
所々に腰掛けて家族と話していたり、テレビを観ていたり、電話をかけていたりと何人かの患者の姿があった。
「そういえば」
しばらく家族に連絡をしていなかった事を思い出し、俺は公衆電話を手にした。財布からテレフォンカードを取り出す。
「あ!」
手が滑ってカードを落とした。カードは床を流れるように滑って、隣の女性の足下で止まった。
「すいません。カードが落ちて…」
「あ、コレですか?」
その女性はかかんでカードを取ってくれた。どうやら近くの自動販売機でオレンジジュースを買ったばかりみたいだ。
「有難うございます」
「彼女に電話ですか?」
「え?」
「夕方いつも一緒にいる女の子に電話するんでしょ?」
「ち、違いますよ。と言うか、見ないで下さいよー」
「結構、ナースセンターでも話題みたいですよ。目立ちますよ、セーラー服の可愛い女の子連れて歩いていたら」
「あー、なるほどー。でも友達なんです。それにこれから電話するのは実家です」
「ホントに?」
そう言って女性は歩き始めた。「お邪魔しました」
隣のベッドの人より話しやすかったのは自分に年齢が近かったせいだろうか。それにちょっと美人だと思った。
ロビーのテレビには半年に1度は放送されるUFOの特別番組が放送されていた。画面いっぱいにMJ-12と映っている。
「マジェスティク・トゥエルブか…。まだそんな事やってるんだ」
俺は電話を掛けるのをやめて、テレビを見始めた。
なんだかんだ言って俺も興味あるじゃん。
幸恵に対して少し懺悔の思いを抱いた。
(つづく)